カンヤツェⅡ峰

山行日:2024年8月7~20日

参加人数:男性単独(ツアー参加)

ルート:

コース:

8月10日 登山口スキュ(3430m)→ ハムルジャ(3510m)
8月11日 ハムルジャ(3510m)→ マルカ(3750m)
8月12日 マルカ(3750m)→ タチュンツェ(4240m)
8月13日 タチュンツェ(4240m)→ カンヤツェBC(5050m)
8月14日 カンヤツェBCから5280mまで高度を上げてBCに戻る
8月15日 22時よりアタック開始 →
8月16日 AC(5500m) → 5630m地点にて撤退 → BC(5050m)
8月17日 BC(5050m) → 下山先チョグドゥ(3980m)

報告:

今回の山行はインドヒマラヤ山脈の一端、カンヤツェII峰ピーク6270mが最高到達点。富士山より高い山に登った事のない私にとっては、踏み入れた事のない未体験ゾーン。期待と不安が入り混じって挑んだこの無謀とも言える挑戦は、山頂を目の前にして撤退と言う残念な結果に終わりました。記録書を書こうにも、なかなか筆が進まない理由はそこに有りました。
山行目的地としてこの山を選択した理由は、自分自身の高度順応適応能力の確認。体力は20代をピークにして年齢と共に確実に落ちていきます。自然の摂理で抗いようが有りません。ならば、今の体力で登れる山を今のうちに登らなきゃ!と、突拍子もない発想に…。
これから海外の高所登山を目論むにあたり、体質的に順応出来るのか否か、ステージを本場海外に求めて海外登山に挑みました。
ツアー構成はトレッキング8日間、高所訓練1日間、観光2日間、移動3日間の計14日間(24’8/7?8/20)あっと言う間の2週間でした。登頂予備日2日間と高度順応期間を含めての期間としては、非常にコンパクトで尚且つ6000m峰に挑戦出来ると言う画期的なツアーだったと思います。
カンヤツェII峰はインド北部、ラダック地方(ヒマラヤ山脈とカラコルム山脈の間のインダス川源流域)に位置し、インドでもっとも高い高山地帯の一つとなっています。コースはスタート地点スキュから下山先チョグドゥ迄の56kmを8日間で駆け抜ける縦走ツアー。標高差は3000m程度、緩勾配のトレッキングコースをゆっくり時間をかけて高度を上げていきます。登頂前後のアタック区間を除いては、登山技術が必要なテクニカルな箇所はなく、ひたすら乾いた荒野を前進します。
ツアーの参加メンバーは7名。私を除いては全員5000m級の山々を経験済みで、中には8000m峰経験者も…。その他、キャラバン構成員は、添乗員1名、現地ガイド2名、パーソナルポーター2名、キッチンスタッフ4名、馬使い2名の総勢18名。加えて、メンバー全員分の8日間の食料やテント、道具類を数十頭のお馬さんに運んで貰います。
今回の山行の最大の目的である高度順応対応行動を簡潔にまとめると下記の様になります。
①睡眠時以外は常に腹式呼吸を意識する
※高度が上がるにつれ酸素濃度が徐々に薄くなる為、腹式呼吸により沢山の酸素を取り込む必要があります。キャンプに着いて時間に余裕があると、疲れからテントで昼寝をしたくなってしまいますが、寝てしまうと血中酸素濃度が下がり、体温も下がり始める為、添乗員に叩き起こされます。
②一日に2~3リットルの水を飲む
※一日に大量の水を飲まなければなりません。コレが結構辛い(~_~;) 高所では呼吸量の増加と乾燥により身体の水分がどんどん失われる為、こまめに水分を補給する必要があります。それによって血液の動きをサラサラな状態に保つことが肝心です。
③とにかくゆっくり動く
※低酸素の中ではハードな動きや、俊敏な動きは禁物です。酸素消費量を少しでも抑える為のマスト行動です。実際、落ちた物を拾う行為だけでも、しゃがんで直ぐ立つと目眩の様な感覚(視野が狭くなる感じ)を覚えます。
上記以外にもダイアモックスの服用や身体を冷やさない、十分な睡眠を取る事などがあげられます。私の実感としては、ツアー中高山病の症状はなく上手く順応出来たのではないかと思っています。
実は高度順応対策はインドに渡航する前から始まっています。ツアー会社からインド渡航前に富士山山頂で宿泊してきて下さい、とのお知らせが届いたのは渡航日の2週間前( ̄▽ ̄;)… 7~8月で富士山山荘の予約を取るのは絶望的に無理。他の手段として高所トレーニングの受講があり、こちらを選択する事に。高所テストを受けたのち、4回(6000m級の場合)の高度順応トレーニングを受ける事でメニューは完了します。結果としてこのトレーニングは非常に役に立ちました。
カンヤツェII峰は高さこそ其れなりにあるものの、技術的に決して難しい山では有りません(実際には登ってないので説得力ゼロですが…) 準備万端で挑んだ今回の登頂計画が何故、撤退と言う結果に終わったのか?様々な要因が影響を及ぼしました。
一番影響が大きかったのが、アタックキャンプの宿泊許可が下りなかった事。ベースキャンプ(BC)標高が5050m、アタックキャンプ(AC)標高が5500m、登頂日はACから挑む予定でしたが、諸事情により村からのAC宿泊許可が下りなかったのです。結果、BCから直接登頂する計画に変更を余儀なくされ、登攀標高差は770mから1220mに増えました。次にアタック前日の天候不良。一日中雨が降り続き、スタッフ専用テントの雨漏れが酷いが為、スタッフ全員の疲労が限界に達していた事。数日間は天候の回復が見込めない事から、ついに8月15日22時、予定行動時間15時間に及ぶアタック登攀の開始です。(因みに当日15日は14時就寝、20時半起床のスケジュールの為、一睡も出来ませんでした)登攀隊は順調に高度を上げていきますが、ツアー参加者7名のうち2名が途中撤退を決めました。
更に高度を上げていくと、スタッフのパーソナルポーターが疲労困憊によりダウン。そのポーターが担いでいた荷物をガイドリーダーが運ぶ事になります。見た目にもオーバーワークなのではと心配していた矢先、案の定リーダーの足が止まりました。彼もまた疲労が限界に達していたのです。
添乗員とリーダーが話し合いを続け、遂に撤退が決まりました。最終到達点は5630mでした。最後まで頑張ったツアー参加者5名のうち1名が、下山後インド現地の病院に入院する事態になりました。限界を超えて頑張りすぎたようです…。日本から5900km離れた目標地点迄あと数百メートルを残し、尚且つ山頂迄の体力を残して撤退が決まり、不完全燃焼のままベースキャンプに戻る事に。あまりの悔しさに添乗員に「ソロ登山で来てたら山頂迄行けたかも…」と子供じみた悪態をついたら、自信過剰気味の私に「夜間登攀でクレバスに落ちなければネ?」と優しく出端を折られました…_| ̄|○
初めての海外登山を通して感じた事は、総じて「楽しい!!」の一言につきます!空気ですら満足に得られない全てにおけるその環境下での不自由さが何故か心地よい。水道も下水もなく、電気も電波も届かない。そんな環境下でも自給自足で生活している村人達がいました。なんでも直ぐに揃うコンビニJAPANで暮らしていると、本当に大切なものが見えてない気がしてなりません。「はて?」では一体何が楽しかったのだろう?何がそう思わせるのだろうか?その答えは次の海外登山で見つける事にしよ~っと( ̄▽ ̄)

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